日本の女子レスリングは紛れもなく世界最強チームだ。五輪を連覇した吉田沙保里や伊調馨(ともにALSOK綜合警備保障)ら世界女王の活躍はすさまじい。だが、2003年の51㎏級で初優勝した伊調千春(ALSOK綜合警備保障)以来、ニューヒロインは誕生していなかった。今大会、伊調姉妹の欠場は残念だったがその分、周囲が期待したのは新しいチャンピオンの誕生だった。
大会1日目は67㎏級で世界選手権初出場を果たした新海真美(アイシンAW)は惜しくも銀メダル。伊調千春の最大の好敵手・坂本真喜子(自衛隊)がまさかの準決勝敗退。最強・日本から、なかなか新チャンピオンが誕生せず、世界V6の坂本日登美(自衛隊)や世界V4の正田絢子(網野クラブ)が下馬評通り勝ち抜いても、どこか消化不良の部分があった。
それを吹き飛ばしたのが、ジュニア時代から国内外でその名を轟かせていた西牧未央(中京女子大)だ。初出場となった今大会は、馨との対決を避けて67㎏級でエントリーしていた。だが、馨の怪我による出場辞退により急きょ、「ベストの階級」である63kg級への出場が叶ったのだ。
尊敬する先輩のセコンドで力は倍増
怪我により8度目の世界制覇を回避した馨は、全日本の特別コーチとして選手のサーポートに回った。西牧の初戦のセコンドには馨の姿が。「まさかセコンドについてくれるなんて。うれしかったし心強かった」と西牧は初戦からエンジン全開。「今日は両足タックルが冴えた」と相手の両足をロックしてニアフォールに持ち込んだり、重戦車のように世界のパワーにまったく屈せず、タックルに入りながらそのまま相手に圧力をかけて場外へ追いやった。優勝に王手をかけた決勝戦の第2ピリオドでは「伊調先輩より秀でている」と自負する片足タックルで突破口を開くと、最後は相手の自滅を誘って4-0。5年ぶり20人目となる日本人女王の座に就いた。
決勝のメインセコンドに就いた栄和人ヘッドコーチから祝福の一本強いを3回食らってからマットを降りると、特別コーチを務めた伊調姉妹が肩車を買って出て、西牧を高く持ち上げた。五輪メダリストに担ぎ上げられた場所からの景色はさぞかし良かったのだろうと思いきや、西牧は「左目のコンタクトが外れてしまってよく見えなかった」と残念そう。それでも「今までにないくらいのカメラマンがいて不思議な気持ちだった」と世界女王の喜びをかみ締めた。
勝って兜の緒を締めて、馨先輩にライバル宣言
国内のプレーオフを制して初の世界選手権出場を決めても「勝つのが当たり前だったから」とさらりと言ってのけるほど、西牧の目標は高いところにあった。世界選手権初出場初優勝も、「狙っていました」と笑顔で即答するほど予定通りの出来事だ。
しかも、世界を制しても浮かれたそぶりは一切見せない。「シニアで負けたことのある選手の方が今大会対戦した選手より強かった。北京五輪に出場している選手が全員出ているわけじゃないので」と、馨が戦ってきた五輪&世界選手権とのレベルの差を認識。「今回、勝って安心することはない。今後、五輪メンバーと試合をして勝ったら、(世界女王)という実感が湧くと思う」とあくまで五輪の2ヵ月後に行われた世界選手権の”レベル”を客観的に捉えていた。
世界女王をステップに馨のライバルに名乗りを挙げ、馨に劣る部分として「体力」を挙げた。「もっと基礎体力を上げたい」。
向上心旺盛な西牧が日本のニューヒロインとして、女子レスリング界の”看板”選手を目指す。
(文/増渕由気子 撮影/矢吹健夫)